3.リカバリーストーリー

ゆうせんに来て変わった事

私が病気になった原因は、高校を卒業して働いた薬の包装の工場での仕事の忙しさや人間関係のストレスでした。でも、その会社でなんとか9年間働くことができました。勤務年数を重ねるにつれ、仕事を教えられる側から、教える側になり、少しずつストレスが溜まっていき、そのストレスを発散することができず、どんどん疲れていきました。職場では相談できる人もほとんどなく、唯一話ができる人もいたのですが、配置転換となり、相談できる人もいなってしまいました。それからは、夜も眠れなくなり、体調がすぐれないことが多くなりました。その結果、疲れて会社で倒れ、家から救急車で運ばれたこともありました。はじめは原因が分からず、内科や、婦人科の病院に行ったりもしましたが、原因は分かりませんでした。

今から考えると、それ以外にも、私は、友達との間でとても嫌な思いをしたことがあります。高校時代の友達にだまされて、サラ金に連れていかれ、その日の内に、「お金を借りてこい」と言われ、借りたお金は全部友達が持って逃げてしまいました。それから、しばらくして両親に精神科に連れて行かれました。

その時から、他人が怖くなって人を信じられなくなり、家から出ることができず、2年くらいひきこもりになってしまいました。家にずっといたことで、「他人と接しなくてもいい」という安心感があったのです。私の病気には、波があり調子がいい時は、普通なのですが、悪い時は、家族と会うことすら嫌になり、トイレに入ったまま、ずっと閉じこもっていた事もあり、その結果、父親に暴力を振るってしまったこともあります。

ゆうせんに来る前は、外出することもままならず、様々な人間関係から病気になってしまったので自分に自信がなく、人との関わりの中では、どうしていいか分からず、いつも不安でいっぱいでした。

私は、調子が悪くなると、マイナスのことばかり考えてしまい、「私なんか居なくてもいい存在」だとか、そんな事ばかりが頭に浮かんできて、とても苦しい時間が続き、人生を後ろ向きに過ごしてきました。

その頃の生活は、家にほとんどいて、自分で車を運転して出かけることもできませんでした。DVDやテレビを見たり、パソコンでインターネットを見たり、なんとなく一日を過ごしていました。しかし、いつまでもそんな事をしていては前に進めないから、なんとかこの生活から抜け出せないかと考えていました。

そんな時、母が私のことを心配してインターネットで調べてみたところ、各務原市内に「ゆうせん」という所があると言ったので、一度行ってみようと思いました。市役所でこころの相談をしたときに、精神障がい者が自主的に活動している所があるとは聞きましたが、その時はまだ「他人と接することが怖くて」見学するまでに至りませんでした。

しばらくして、勇気を振り絞り、見学にしてみようと思い、近くまで行きましたが、場所も分かりづらくて見つけるのに時間がかかり、やっと、昼過ぎに着きました。メンバーの方がとてもやさしく出迎えて下さり、詳しくゆうせんの説明をして下さり、不安は無くなりました。

そして4年前のお盆過ぎから、通い始め、10回の体験通所を経て、正式メンバーとなり、とてもうれしかったことを覚えています。最初の頃は、集団の中に居ることで緊張したり、疲れてしまって、丸一日ゆうせんに居ることができなくて、午前中で帰っていましたが、今では一日居ることができるようになりました。現在はほぼ毎日通っています。

クラブハウスでのすべての面で、決めることがあるとハウスミーティングという全員の話し合いで決めます。あと色々な行事などもあり、とても楽しいです。メンバーのみんなもやさしく接してくださるので、よかったです。

私がゆうせんを利用して変わったことは、ゆうせんに来る前は、先ほど言いましたように1人で外出することができず、両親が外食やモーニングに誘ってくれたときぐらいしか外出しませんでした。まだたまに、「他人が怖い」と感じることもありますが、ゆうせんに来てからは、友達もできましたし、いろんな人と話すことができるようになりました。ちょっときつめの冗談を言い合ってもあまり凹まないようになりました。前の私だったら、また引きこもっていたと思います。

最近は1人でカラオケに行くことやCDを買いにいくこと、マンガ喫茶にも行くこともできますし、好きな歌手のコンサートにも1人で行くことができますし、同じ歌手のファンの人と一緒にコンサートにも行っています。これからも色んなことに積極的に取り組んでもっと自信をつけたいと思います。

今後の目標としては、インターネットの検索はできますが、もっとパソコンを、使いこなせるようになりたいと思います。また、インターネットのオークションにもっとたくさん出品したいとも考えています。最近は毎日ゆうせんに来られるようになりましたが、これからも、自分のペースに合わせて活動をしていきたいです。様々な技術やマナーを身につけたいと考えています。

将来の目標は、遠いかもしれないけど、何か接客業をやってみたいです。高校を卒業した時に、ほんとはデパートに働きたかったのですが、それができず、工場に働いたので、一度接客業をやってみたかったからです。また、前に映画館の売店で働いていた事があり、楽しかった思い出があるのも、ひとつの理由です。だから、もう一度やれたらいいなと思っています。

(Y.I) 

みんなにありがとう

2008年の秋にあった、「ゆう」がパネリストとして参加されたイベントに参加して、施設長の講義を聞きました。そしてクラブハウスに興味を持ち、席に座っておられた施設長に声をかけさせて頂きました。その後「ゆう」の説明を聞いて「私の居場所はここにあるんや」と感じて体験通所を始めました。

最初は一日中おとなしく椅子に座っているだけの地味な人だったんです。それでもみなさんは私の事を温かく見て下さっていました。そこで"ひとりじゃないんだ"という思いをつくづく感じました。その時の感謝の気持ちは今でも忘れてはいません。本当にありがとうございました。

 そして2009年3月に正式メンバーになりました。今は仕事をしながら週1回のペースで「ゆう」に通っています。私自身「ゆう」に来て変わったことは、今まで人見知りが酷く、そしてめちゃくちゃ恥ずかしがり屋さんな私なので友達を少なかったんです。「ゆう」に来てからは沢山の仲間が増えました。それも同年代の人はもちろんですが、上は親と同世代の人から下は20代の人までいろんな世代の人達と仲間になれました。そして、家では料理なんてあまり作らなかったけど、キッチンユニットに入ってランチを作って、料理を覚えるようになってとても楽しいです。それからこれは全てに共通できるのですが、最初は笑顔がなかなかでなくて、スタッフやメンバーにまじめな顔で質問し相談にのって下さいました。結論は「いつか明るく笑える日が来るよ!」ってみんな言って下さいましたが本当にいまではほっといても自然にいつも明るく笑うことができるようになりました。今クラブハウスに通っていますが私にとって「ピアステーションゆう」は大切な大切な仲間のいる、なくてはならない場所です。これからも「ゆう」のゆかいな仲間として明るく元気にがんばっていきたいと思います。 

(わんこ)

 

ゆうと出会ってから

 私がゆうと出会ってから、まもなく4年になります。それまでは、クリニックのデイケアに通っていました。私は自己否定感が強くて、何も出来ないとるにたらない人間だと思い続けていました。デイケアで少しずつ自信を回復し、デイケア3年目の春、ゆうと出会いました。
 ゆうとの初めての出会いは衝撃でした。スタッフもメンバーも一緒になって楽しそうに笑いながら昼食の片づけをしていました。それは、デイケアでは余り見かけない光景だったのです。その後、ゆうについての説明を受けたのですが、その時は余りピンとこなかったことを覚えています。「とても不思議な場所だ」ということだけが印象に残りました。
 体験通所を経て正式にメンバーになっても、しばらくは自信のないまま日々を送っていました。「私たちはひとりぼっちじゃない」、その言葉が今ひとつお腹の中に落ちてきてはいませんでした。
 そんな私が変わったのは2006年の韓国でのアジア会議でした。初めて会った人ばかりなのに、心に秘めている想いは同じであるという空気に満ちた空間でした。私は、本当にひとりぼっちじゃなかったのです。それに気がついた時の喜びは非常に大きいものでした。行き止まりだと思ってもたれていた壁は、「本当の私」に向かって進んでいく道への扉だったのです。
 これを契機に様々な講演活動に取り組むようになりました。「ひとりぼっちじゃない」、そのことを一人でも多くの人に伝えたくて。私は今も、自分に自信はあまりありません。「私がありのままの私でできること」、それが私の場合、講演活動でした。ホンの少し「自信」を取り戻した私は、今、「自身」を取り戻そうとしています。
 私にとってゆうは、リカバリー出来るとても大切な場所です。これからも私はリカバリーし続けるでしょう。私がどんな風に変わっていくか、それが少し楽しみです。 

(Mappy)

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